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観鈴ちんの風下で
2003年8月1日 おはよございます。MK2です。仕事開始前になんだかんだと書いています。昨日の自分のテキストを見るにつけ、なんというか、これを書いたのが自分だとは思いたくありません。
しかし自分のものだと思わざるを得ないのは、結局のところ、おもらし歓迎であるからかもしれません。折りよくも本日は日曜。半分観光立地といってよい当店には多数のちっちゃい子が来店されます。でも名雪は来店sません。この理不尽さ。なにが理不尽なのか。4文字以内でまとめやがれ。
「名雪萌え」
まとまりました。これ以上ないというほどに理不尽に。
今日はとても天気がいいです。昨日さんざん脳内の電波を心地よくテキストに変換したせいか、自転車で店に来る途上、今日の俺の頭のなかは、いつまでも鳴りやまないセミの声や、コンクリートの護岸をなめるように這う生ぬるい風や、木陰の下を一人でクワガタを探しながら歩く観鈴ちんや、そんなものでいっぱいでした。俺は音楽を聴きながら自転車に乗る人なのでしたが、その音楽というのが鳥の詩エンドレスだったのもまずかったかもしれません。
とはいっても、すでに季節も秋が近く、凶悪なまでに青い空と夏雲、というよりは、どこか空気に茫漠とした紗がかかっているような淡い秋の青空だったりして、暑さはさりとて、なんとなく「夏が終わったんだなあ」という雰囲気がして、それはそれでせつなさに胸がズッキューーーンとかするような残暑の昼下がりでありました。あと腰が痛い。
まあそんなわけで、文章が書ける時間もあと2分となりました、なにか質問はありますか? 「観鈴ちんのスリーサイズを教えてください」「わかりません。ただし、家系のせいか意外と胸があることは事実です。ほっそりして見える足も、実は太股なんかけっこうボリュームがあって、触るとふにふにしたりなんかします。筋肉があんまりないので、ヒザ枕とかけっこう気持ちいいです」
さっそと仕事してこいはいそうします。これからは店長モードで動きます。ああ観鈴ちん。扇風機の風に吹かれている観鈴ちんの風下でそこはかとなく漂う観鈴ちんの儚い香りを煩悩したい。夏だなあ。エアコンなんかない密室でどうにかなりそうな一夜を観鈴ちんと過ごしたいです。ああまで「肉体」の要素が密殺されているキャラに対してこんな妄想を抱くのはどうか。とか書いてる後ろからバイトが出現。昼のコンビニのバックルームは危険がいぱいですが、その危険を自ら招き寄せているのもまた自分だったりするのでした
さて休憩開始です。
今日はあまりに忙しいことが事前に予測されていたため余分の人員を入れてあったため、何者にもジャマされることなく比較的のっそりとした休憩を取れるはずです。にしてもみんなよくあんなにジュース買うなあ。台風のあった週の一週間分が売れようとしていますよ。みんな家族でお出かけですね。
さて、いまもまた「鳥の詩」をエンドレスで聞いているせいで、俺の脳内はすっかり観鈴ちんと彼女を取り囲む世界に汚染されはじめています。現実に生きているとか高らかに書きやがる人間がこんなことでよいのかという気がしないでもないのですが、そこはそれ、しょせん俺の頭脳なんて、左脳と右脳と妄想脳でできているのです。そうか。だから俺はいつでもこんなに妄想漬けなのか。脳が独立してるんじゃしょうがねえよな。
家族連れということで思い出しましたが、エロゲの世界では、たとえば名雪もいずれ子供を作るためのセックスに日夜励みその結果として妊娠し、乳輪が大きくなり(そんなことはくどくど書かなくてもよろしい)、とにかく結果として母親になる可能性が高いわけなのですけれども、そういう事態がわりと想像しにくかったりします。
ところが秋子さんは最初から母親です。母親である現在の秋子さんに到達するまでの道程というものを空想することは可能であり、それはたとえようもない愉悦である可能性も高いのですが、それは妄想の域を超えにくいものです。
これもまた、キャラというのは結局のところ「与えられた」ものでしかないということなのでしょう。当たり前のことをなに回りくどく書いてんだ。でもそこが不思議で。俺のなかではこんなにも規定の事実であるように存在しているキャラたちが、実は存在しないのだ、どこにもいないのだ、だれかの想像力の産物でしかないのだ、ということが。
かつて俺は「現実の人間も、キャラも変わらない」と考えたことがあります。遠くに行ってしまった人を思うようなとき、それはフィクションのキャラを思うのとどこが違うのだろうと。
しかし自分のものだと思わざるを得ないのは、結局のところ、おもらし歓迎であるからかもしれません。折りよくも本日は日曜。半分観光立地といってよい当店には多数のちっちゃい子が来店されます。でも名雪は来店sません。この理不尽さ。なにが理不尽なのか。4文字以内でまとめやがれ。
「名雪萌え」
まとまりました。これ以上ないというほどに理不尽に。
今日はとても天気がいいです。昨日さんざん脳内の電波を心地よくテキストに変換したせいか、自転車で店に来る途上、今日の俺の頭のなかは、いつまでも鳴りやまないセミの声や、コンクリートの護岸をなめるように這う生ぬるい風や、木陰の下を一人でクワガタを探しながら歩く観鈴ちんや、そんなものでいっぱいでした。俺は音楽を聴きながら自転車に乗る人なのでしたが、その音楽というのが鳥の詩エンドレスだったのもまずかったかもしれません。
とはいっても、すでに季節も秋が近く、凶悪なまでに青い空と夏雲、というよりは、どこか空気に茫漠とした紗がかかっているような淡い秋の青空だったりして、暑さはさりとて、なんとなく「夏が終わったんだなあ」という雰囲気がして、それはそれでせつなさに胸がズッキューーーンとかするような残暑の昼下がりでありました。あと腰が痛い。
まあそんなわけで、文章が書ける時間もあと2分となりました、なにか質問はありますか? 「観鈴ちんのスリーサイズを教えてください」「わかりません。ただし、家系のせいか意外と胸があることは事実です。ほっそりして見える足も、実は太股なんかけっこうボリュームがあって、触るとふにふにしたりなんかします。筋肉があんまりないので、ヒザ枕とかけっこう気持ちいいです」
さっそと仕事してこいはいそうします。これからは店長モードで動きます。ああ観鈴ちん。扇風機の風に吹かれている観鈴ちんの風下でそこはかとなく漂う観鈴ちんの儚い香りを煩悩したい。夏だなあ。エアコンなんかない密室でどうにかなりそうな一夜を観鈴ちんと過ごしたいです。ああまで「肉体」の要素が密殺されているキャラに対してこんな妄想を抱くのはどうか。とか書いてる後ろからバイトが出現。昼のコンビニのバックルームは危険がいぱいですが、その危険を自ら招き寄せているのもまた自分だったりするのでした
さて休憩開始です。
今日はあまりに忙しいことが事前に予測されていたため余分の人員を入れてあったため、何者にもジャマされることなく比較的のっそりとした休憩を取れるはずです。にしてもみんなよくあんなにジュース買うなあ。台風のあった週の一週間分が売れようとしていますよ。みんな家族でお出かけですね。
さて、いまもまた「鳥の詩」をエンドレスで聞いているせいで、俺の脳内はすっかり観鈴ちんと彼女を取り囲む世界に汚染されはじめています。現実に生きているとか高らかに書きやがる人間がこんなことでよいのかという気がしないでもないのですが、そこはそれ、しょせん俺の頭脳なんて、左脳と右脳と妄想脳でできているのです。そうか。だから俺はいつでもこんなに妄想漬けなのか。脳が独立してるんじゃしょうがねえよな。
家族連れということで思い出しましたが、エロゲの世界では、たとえば名雪もいずれ子供を作るためのセックスに日夜励みその結果として妊娠し、乳輪が大きくなり(そんなことはくどくど書かなくてもよろしい)、とにかく結果として母親になる可能性が高いわけなのですけれども、そういう事態がわりと想像しにくかったりします。
ところが秋子さんは最初から母親です。母親である現在の秋子さんに到達するまでの道程というものを空想することは可能であり、それはたとえようもない愉悦である可能性も高いのですが、それは妄想の域を超えにくいものです。
これもまた、キャラというのは結局のところ「与えられた」ものでしかないということなのでしょう。当たり前のことをなに回りくどく書いてんだ。でもそこが不思議で。俺のなかではこんなにも規定の事実であるように存在しているキャラたちが、実は存在しないのだ、どこにもいないのだ、だれかの想像力の産物でしかないのだ、ということが。
かつて俺は「現実の人間も、キャラも変わらない」と考えたことがあります。遠くに行ってしまった人を思うようなとき、それはフィクションのキャラを思うのとどこが違うのだろうと。
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