テッサ=おもらし(腐れ等式)
2003年8月21日 ところでさんざんあちこちで「テッサはよい」という発言を繰り返している俺ですが、本当にテッサはいいです。作品そのものも、娯楽作品としてそう人を退屈させないレベルには仕上がっていると思うのですが、そんなことはどうでもよく、ひたすらテッサだと思います俺は。
テッサのどこがよいかと言われるとけっこう困ったりもします。基本的に「そばにいたらいいな」と素直に思えるキャラで、余計な妄想の介入しにくいキャラと設定なので、なかなか自分の脳内で好きにいじくりまわして妄想の果てにある俺桃源郷にテッサを閉じこめちゃうゾ、というような脳内バッチ処理を施しにくいキャラですので、それであんまり人気ないのか、それとも単にフルメタが人気ないのか。
俺が気に入るキャラの基本なのですが、テッサはばかです。俺において「かしこい」とは、正しく生きるために不要なことをわざわざしない、というくらいの意味です。正しく生きる、というのは、人に迷惑をかけない程度にこの現実で欺瞞なく自分らしく振る舞い、そのうえでこの現実において正しい存在であると衆目に認められるような状態のことで、当然ながら俺はそういう存在にあまり興味がありません。自分がそうであるぶんにはいっこうにかまわないのですけれども、そうあるためには俺は後ろ暗い部分が多すぎます。具体的にはそんなふくらみかけの胸で無造作にタンクトップなんか着たら結婚したくなるじゃないかッッッッッッとか絶叫したくなるあたりがとても後ろ暗いですが、俺はそんなふくらみかけの胸の感触を会社の利益より真剣に想像する自分が大好きだ。タンクトップの脇のあたりに手を差し込んで、びよーんと引っ張ってそのすき間からふくらみの具合を確認したいこか懸命に考えながら平然とレジを打っている自分最高とか思う。思うな。
句読点が減ってきたらそろそろ壊れかけのサインです俺。
で、テッサなのですが、テッサのよいところは、その意味で賢くあろうとしながら、最終的には自分の弱さや子供っぽさに引きずられて「私ってなんてバカなんだろう」って自嘲しながら、それでもやっぱり自分は強くなければとか思って、その狭間でぐちゃぐちゃになっちゃって……っていう無限エンドレスにあると思うのだな。
そのぐちゃぐちゃの奈落の底でテッサを愛玩したいと思う困った人はきっと俺だけではないはずです。やっぱあれよ。このタイプは最終的には自己嫌悪のどん底で自我をなくしたどんよりした虚ろな目でただ愛玩されるだけってのがいちばん似合ってると思うのだな。自分の誇りや、自分を支えていた、周囲の人々の信頼、そうしたものを最低のかたちで手放してしまったテッサのそばに、いちばん最後に残る人間でありたい。それは裏を返せば、テッサがそんな不幸な目にあってもかあわないという、相手の幸福を願わない最低の独占欲のことなのですが、俺はもうこの点について後ろめたさを抱きません。俺は利己的なので、テッサが自分の愛玩物になってくれればいいなあと願いました。ほら、どこにも矛盾はない。素敵。肝心のテッサの気持ちはといえば、テッサはもうなにもわからなくなってますから。エゴイズムの辿り着く地獄の泥沼こそが俺の至福。そこでは、自分の罪深さの証明である半分崩壊したテッサですら、より愛しさを増幅させる最高の玩具。
というようなロクでもない精神の歪みを抱えたままオーバーサーティーを突っ走るのは人類にとって害悪なので、年若い人はぜひ気を付けてください。
そうはいっても、明るい場所でほほえんでいるテッサもまた、とてもよろしいです。テッサのよさはその外見にもあるからです。あと、ほっぺたとか髪の毛とかやわらかそうなあたりにもあると思います。あとテッサはきっといいにおいがすると思います。総合的にテッサは腕のなかにすっぽり納めて泣かれたい。
「私だって、私だって……がんばってるのに……」
そんなテッサに、ぜひ「がんばらなくてもいいんだよ」と伝えていきたい。自分にとってまったく役に立たない甘言以下の唆しだとわかっていても、ついそのときの「自分を慰める」という言葉の機能の心地よさに頼ってしまうテッサ。自分を騙すことに慣れすぎたテッサ。
すぐだめになりそう。
そこがたまらなく愛しい。
でも最終的にだめになりきれないあたりがまた愛しい。
どうでもいいんだけど、テッサがトイレに入ってるところが見たいです。まちがえてドアを開けて狼狽しまくるテッサ。それを「私も忘れますからあなたも忘れてください」と冷静に処理しようとするテッサ。ああああああ、テッサのスカートをめくりてえ!!
えんえんといろいろ書いて、最後は便所の落書き。
それじゃ仕事してきます。
仕事の合間にこんなこと書いてんじゃねえ俺。
当然ながら、カップ麺を並べている俺の頭脳を斬鉄剣ですぱーんと切ってみると、そこには、ぱんつを下ろして洋式便器に腰掛けて放心しているテッサの姿(サウンド機能オン)。みんな、こんな人間が店長でいいのか。ああ、テッサって我慢しきれなくなって粗相とかもすげえ似合うなあ。そんなテッサを抱きしめ希望。濡れてもテッサのだから汚くないよ。テッサの体から出たものが汚いはずない。とゆって、スカートの下のテッサの濡れたぱんつを見上げるの希望。わずかにかたちがわかるのとか希望。粗相の後始末を雑巾と俺の肉体自らを駆使し遂げるのが俺の喜び。さっさと仕事してこい俺。
テッサのどこがよいかと言われるとけっこう困ったりもします。基本的に「そばにいたらいいな」と素直に思えるキャラで、余計な妄想の介入しにくいキャラと設定なので、なかなか自分の脳内で好きにいじくりまわして妄想の果てにある俺桃源郷にテッサを閉じこめちゃうゾ、というような脳内バッチ処理を施しにくいキャラですので、それであんまり人気ないのか、それとも単にフルメタが人気ないのか。
俺が気に入るキャラの基本なのですが、テッサはばかです。俺において「かしこい」とは、正しく生きるために不要なことをわざわざしない、というくらいの意味です。正しく生きる、というのは、人に迷惑をかけない程度にこの現実で欺瞞なく自分らしく振る舞い、そのうえでこの現実において正しい存在であると衆目に認められるような状態のことで、当然ながら俺はそういう存在にあまり興味がありません。自分がそうであるぶんにはいっこうにかまわないのですけれども、そうあるためには俺は後ろ暗い部分が多すぎます。具体的にはそんなふくらみかけの胸で無造作にタンクトップなんか着たら結婚したくなるじゃないかッッッッッッとか絶叫したくなるあたりがとても後ろ暗いですが、俺はそんなふくらみかけの胸の感触を会社の利益より真剣に想像する自分が大好きだ。タンクトップの脇のあたりに手を差し込んで、びよーんと引っ張ってそのすき間からふくらみの具合を確認したいこか懸命に考えながら平然とレジを打っている自分最高とか思う。思うな。
句読点が減ってきたらそろそろ壊れかけのサインです俺。
で、テッサなのですが、テッサのよいところは、その意味で賢くあろうとしながら、最終的には自分の弱さや子供っぽさに引きずられて「私ってなんてバカなんだろう」って自嘲しながら、それでもやっぱり自分は強くなければとか思って、その狭間でぐちゃぐちゃになっちゃって……っていう無限エンドレスにあると思うのだな。
そのぐちゃぐちゃの奈落の底でテッサを愛玩したいと思う困った人はきっと俺だけではないはずです。やっぱあれよ。このタイプは最終的には自己嫌悪のどん底で自我をなくしたどんよりした虚ろな目でただ愛玩されるだけってのがいちばん似合ってると思うのだな。自分の誇りや、自分を支えていた、周囲の人々の信頼、そうしたものを最低のかたちで手放してしまったテッサのそばに、いちばん最後に残る人間でありたい。それは裏を返せば、テッサがそんな不幸な目にあってもかあわないという、相手の幸福を願わない最低の独占欲のことなのですが、俺はもうこの点について後ろめたさを抱きません。俺は利己的なので、テッサが自分の愛玩物になってくれればいいなあと願いました。ほら、どこにも矛盾はない。素敵。肝心のテッサの気持ちはといえば、テッサはもうなにもわからなくなってますから。エゴイズムの辿り着く地獄の泥沼こそが俺の至福。そこでは、自分の罪深さの証明である半分崩壊したテッサですら、より愛しさを増幅させる最高の玩具。
というようなロクでもない精神の歪みを抱えたままオーバーサーティーを突っ走るのは人類にとって害悪なので、年若い人はぜひ気を付けてください。
そうはいっても、明るい場所でほほえんでいるテッサもまた、とてもよろしいです。テッサのよさはその外見にもあるからです。あと、ほっぺたとか髪の毛とかやわらかそうなあたりにもあると思います。あとテッサはきっといいにおいがすると思います。総合的にテッサは腕のなかにすっぽり納めて泣かれたい。
「私だって、私だって……がんばってるのに……」
そんなテッサに、ぜひ「がんばらなくてもいいんだよ」と伝えていきたい。自分にとってまったく役に立たない甘言以下の唆しだとわかっていても、ついそのときの「自分を慰める」という言葉の機能の心地よさに頼ってしまうテッサ。自分を騙すことに慣れすぎたテッサ。
すぐだめになりそう。
そこがたまらなく愛しい。
でも最終的にだめになりきれないあたりがまた愛しい。
どうでもいいんだけど、テッサがトイレに入ってるところが見たいです。まちがえてドアを開けて狼狽しまくるテッサ。それを「私も忘れますからあなたも忘れてください」と冷静に処理しようとするテッサ。ああああああ、テッサのスカートをめくりてえ!!
えんえんといろいろ書いて、最後は便所の落書き。
それじゃ仕事してきます。
仕事の合間にこんなこと書いてんじゃねえ俺。
当然ながら、カップ麺を並べている俺の頭脳を斬鉄剣ですぱーんと切ってみると、そこには、ぱんつを下ろして洋式便器に腰掛けて放心しているテッサの姿(サウンド機能オン)。みんな、こんな人間が店長でいいのか。ああ、テッサって我慢しきれなくなって粗相とかもすげえ似合うなあ。そんなテッサを抱きしめ希望。濡れてもテッサのだから汚くないよ。テッサの体から出たものが汚いはずない。とゆって、スカートの下のテッサの濡れたぱんつを見上げるの希望。わずかにかたちがわかるのとか希望。粗相の後始末を雑巾と俺の肉体自らを駆使し遂げるのが俺の喜び。さっさと仕事してこい俺。
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