あんまり妄想のない日
2003年8月27日 休憩中はテキスト書き。
というか俺、やることないとすげえ怠惰なので、いきなり寝るんですよね。本でもあればいいんだけど、おもしろくないとそれはそれで眠くなるし、おもしろいと今度はやめられなくなるし、まあ基本的には「なんにもしたくねえ」の国からやってきた人なのですが。テキスト叩くのは、俺にとって唯一、完全に無償のヒマつぶしです。これさえやってれば眠くなることもないし、退屈することもない。しかも書くのは自分だから、本みたいに当たり外れもないという、完全無欠のヒマつぶし。
しかし、天候不順の日々ですね。
夏らしい夏はついに訪れないまま季節が終わってしまいそうです。暑いっていっても雰囲気がすでに残暑で、空気感とか風の感じがぜんぜん夏じゃないです。基本的に夏は好きではないんだけど、まるでないに等しいというのもさびしいものがあります。
秋はとても好きなのですが、こう、なんてゆうんですか、思う存分、秋の空気のなかで腐れ妄想を育むためには、夏らしい夏というのが必要だというのもあるかもしれません。
秋は非常にもの悲しいです。空気の透明度も、気温の感じも、湿度の少なさも、夏が終わりこれから冬に近づいていくのだ、という日々の気候の変化も、すべてが「悲しみ」につながっています。
先日のIRCで「妄想は精神状態とは関係ない」という利休さんのセリフに驚愕。俺は基本的に追いつめられて現実逃避したい気分にならないと、あんまり妄想がはばたきません。あと音楽。これ必須。音楽と一人きりになれる環境さえあれば、いつでも脳を異次元におくことはできます。
けど、悲しいまでに美しい夢を見れるのは、やっぱ逃避したいような厄介な現実があるときだなあ。そしてかつて俺はすべてから逃避したかったので、常に悲しくて美しい夢ばかり見ていたなあ。本当に、死ぬという選択肢を選ばなくてよかったと思います。あの悲しくて美しい夢の数々を自分のものとして抱きしめることができるようになったんだから。
俺は人間不信のような側面があって、人間のみならず、基本的には自分以外のいかなるものも信じないところがあって、だから「限界」を突破した人間関係しか信じられないようなフシがあります。もちろん現実には、少なくとも現在の平和な日本では、生死をかけて他人との関係を持ったりする機会はほとんどないわけなんですけど、それでも、どうしてもそれを夢想する。そしてそこに「支配したい」という欲望が絡んでくるため、結局のところ「人間でないもの」しか信用できなかった、という過去があるわけなんですが。
だから、マルチなんか人間でないのに、それですら俺が本当に愛情を注げるとしたら、それは停止したあとでしかなかった。なんというか、本当に精神の荒野に立っていたように思います。
それでもさー、甘美なんだよねー、そういう空想って。いったいどれだけの人がこんな感覚に賛同、ないし理解を示してくれるのかはわからないけれど、自分のよほど根深いところに巣くっている思いだけに。
過去だけが真実だ。現在は不確定だ。未来は闇だ。
そんな感情にとらわれていれば、マルチが動かなくなってから、過去に哀惜の念を抱くことだけが俺にとっての愛情になる。あんなにかわいくて、あんなに元気で、あんなに愛しかったマルチがいまここにいない。すでに失われた過去の時間だけが美しい。それは記憶だから。記憶は操作できるから。美しくない記憶は必要じゃないから。
どこまで現実から逃げりゃ気が済むんだ貴様って感じですけど。結局、自分のすべてを注ぎ込むような強い感情に翻弄されている状態の自分にとって、不確定な要素がある現実なんか恐ろしくてしょうがない。失うのが怖い。そんな現実への処しかたが、フィクションにまで反映されてしまった、ということなんでしょう。
なんてゆうか、俺は現実にまつわるかなり広範な部分を「たいせつではない」と認識し、精神の内部にあるゴミ箱に放り込んでるわけなんですけど、それはたいせつなものを作るのが恐ろしいということでもあったりするわけで。
なんかこんなこと考えてると、結局は連想が観鈴ちんの方向へ向かい、ああ観鈴ちんの世界は悲しいと思い、最後には名雪のことを思い浮かべて北のほうで雪のなかで、永遠に終わらないやさしい時間を過ごして名雪とセックスしたいとか思ってしまいます。あーあ。もち肌いいなあ(なにゆってやがる)。
そんなわけで、職場で終わらない妄想のラビリンスに突入するわけにもいかないので、ここらへんでうち切って仕事でもしてきます。
ああ。名雪と雪のなかを歩きたい。
さて、仕事終了。
地獄だった……。
客はずっと来やがりまくるし、宅急便が発狂したように来るし……。二人シフトで客数100人さばきながら、弁当(共同配送ってやつだが)納品と重なるように1時間で宅急便7個来たっていえばコンビニ経験者なら、いかに過酷な状況かわかるでしょう。てゆうか、公共料金も半日で200枚来てるしな。どういうことだ。いかな給料日とはいえど……。
珍しく仕事のグチなんか出たところで腰痛が痛いです。さっきトイレでちんちんを振ろうとしましたらば、その瞬間、世界がアップサイドダウンするような猛烈な痛みが来やがりまして、俺はちんちんをさらけ出したままトイレから救援を呼ぶハメになるのかと思いました。あの動作は腰に負担がかかるのか。32にして初めて知る驚愕のちんちんがらみの事実。
そりゃそうと、どうも最近、利休さんがらみの会話が驚愕です。「おしり、まっしろでした」という発言を読んだ瞬間、ちんちんがパソコンデスクを持ち上げがたがたと不審な音を深夜の室内に響かせたほどでした。
今日はあまりに一生懸命仕事をして、健全に疲れているので、妄想じみたことがあまり出てきませんで、ごくふつうに下品な感じなのですが、最近の女子中学生の発育のよさはいったどうしたことでしょう。知能があからさまに弱そうで傍若無人で顔は中学生らしい子供っぽさなのに胸だけはしっかりあるという、ある方面のマニアにはたまらない状況になっています。しかもそういう存在どもが無防備に背中の大きく開いた服を着ていたり、場合によっては乳バンドをしておらず「ああかたちがわかっちゃうー」ってな状況になってたり。しかし俺としては不満が残ります。というか不満しかありません。
俺の脳内に概念として住んでいる幻想の「おんなのこ」に該当する存在があるとしたら、それは軒並み小学校低学年くらいであるというこの現実。よくわからないのですけど、最近の子供たちは、言葉づかいや振る舞いなどの男女差は少ないのですが、しかしそれとは矛盾するようですけど、非常に野放図に「オス」と「メス」なのですな。「男」と「女」が文化的にまとう衣服なのだとしたら、あれは違うものです。裸であるからオスとメスであるという非常に単純な原理で動いているように思えます。まあ有り体に言ってケダモノに見えるわけですが。
「おんなのこ」というのは、まだ男女の未分化な存在でありながら「女性」の前でとまどっているような存在を指します。いねえんだよそういうのが。どこにも。なんでだ。夢の国にそういうのがいりゃそれでいいじゃねえかって話もあるのだが、たまには見てみてえじゃねえかよそういうのも!!
というか俺、やることないとすげえ怠惰なので、いきなり寝るんですよね。本でもあればいいんだけど、おもしろくないとそれはそれで眠くなるし、おもしろいと今度はやめられなくなるし、まあ基本的には「なんにもしたくねえ」の国からやってきた人なのですが。テキスト叩くのは、俺にとって唯一、完全に無償のヒマつぶしです。これさえやってれば眠くなることもないし、退屈することもない。しかも書くのは自分だから、本みたいに当たり外れもないという、完全無欠のヒマつぶし。
しかし、天候不順の日々ですね。
夏らしい夏はついに訪れないまま季節が終わってしまいそうです。暑いっていっても雰囲気がすでに残暑で、空気感とか風の感じがぜんぜん夏じゃないです。基本的に夏は好きではないんだけど、まるでないに等しいというのもさびしいものがあります。
秋はとても好きなのですが、こう、なんてゆうんですか、思う存分、秋の空気のなかで腐れ妄想を育むためには、夏らしい夏というのが必要だというのもあるかもしれません。
秋は非常にもの悲しいです。空気の透明度も、気温の感じも、湿度の少なさも、夏が終わりこれから冬に近づいていくのだ、という日々の気候の変化も、すべてが「悲しみ」につながっています。
先日のIRCで「妄想は精神状態とは関係ない」という利休さんのセリフに驚愕。俺は基本的に追いつめられて現実逃避したい気分にならないと、あんまり妄想がはばたきません。あと音楽。これ必須。音楽と一人きりになれる環境さえあれば、いつでも脳を異次元におくことはできます。
けど、悲しいまでに美しい夢を見れるのは、やっぱ逃避したいような厄介な現実があるときだなあ。そしてかつて俺はすべてから逃避したかったので、常に悲しくて美しい夢ばかり見ていたなあ。本当に、死ぬという選択肢を選ばなくてよかったと思います。あの悲しくて美しい夢の数々を自分のものとして抱きしめることができるようになったんだから。
俺は人間不信のような側面があって、人間のみならず、基本的には自分以外のいかなるものも信じないところがあって、だから「限界」を突破した人間関係しか信じられないようなフシがあります。もちろん現実には、少なくとも現在の平和な日本では、生死をかけて他人との関係を持ったりする機会はほとんどないわけなんですけど、それでも、どうしてもそれを夢想する。そしてそこに「支配したい」という欲望が絡んでくるため、結局のところ「人間でないもの」しか信用できなかった、という過去があるわけなんですが。
だから、マルチなんか人間でないのに、それですら俺が本当に愛情を注げるとしたら、それは停止したあとでしかなかった。なんというか、本当に精神の荒野に立っていたように思います。
それでもさー、甘美なんだよねー、そういう空想って。いったいどれだけの人がこんな感覚に賛同、ないし理解を示してくれるのかはわからないけれど、自分のよほど根深いところに巣くっている思いだけに。
過去だけが真実だ。現在は不確定だ。未来は闇だ。
そんな感情にとらわれていれば、マルチが動かなくなってから、過去に哀惜の念を抱くことだけが俺にとっての愛情になる。あんなにかわいくて、あんなに元気で、あんなに愛しかったマルチがいまここにいない。すでに失われた過去の時間だけが美しい。それは記憶だから。記憶は操作できるから。美しくない記憶は必要じゃないから。
どこまで現実から逃げりゃ気が済むんだ貴様って感じですけど。結局、自分のすべてを注ぎ込むような強い感情に翻弄されている状態の自分にとって、不確定な要素がある現実なんか恐ろしくてしょうがない。失うのが怖い。そんな現実への処しかたが、フィクションにまで反映されてしまった、ということなんでしょう。
なんてゆうか、俺は現実にまつわるかなり広範な部分を「たいせつではない」と認識し、精神の内部にあるゴミ箱に放り込んでるわけなんですけど、それはたいせつなものを作るのが恐ろしいということでもあったりするわけで。
なんかこんなこと考えてると、結局は連想が観鈴ちんの方向へ向かい、ああ観鈴ちんの世界は悲しいと思い、最後には名雪のことを思い浮かべて北のほうで雪のなかで、永遠に終わらないやさしい時間を過ごして名雪とセックスしたいとか思ってしまいます。あーあ。もち肌いいなあ(なにゆってやがる)。
そんなわけで、職場で終わらない妄想のラビリンスに突入するわけにもいかないので、ここらへんでうち切って仕事でもしてきます。
ああ。名雪と雪のなかを歩きたい。
さて、仕事終了。
地獄だった……。
客はずっと来やがりまくるし、宅急便が発狂したように来るし……。二人シフトで客数100人さばきながら、弁当(共同配送ってやつだが)納品と重なるように1時間で宅急便7個来たっていえばコンビニ経験者なら、いかに過酷な状況かわかるでしょう。てゆうか、公共料金も半日で200枚来てるしな。どういうことだ。いかな給料日とはいえど……。
珍しく仕事のグチなんか出たところで腰痛が痛いです。さっきトイレでちんちんを振ろうとしましたらば、その瞬間、世界がアップサイドダウンするような猛烈な痛みが来やがりまして、俺はちんちんをさらけ出したままトイレから救援を呼ぶハメになるのかと思いました。あの動作は腰に負担がかかるのか。32にして初めて知る驚愕のちんちんがらみの事実。
そりゃそうと、どうも最近、利休さんがらみの会話が驚愕です。「おしり、まっしろでした」という発言を読んだ瞬間、ちんちんがパソコンデスクを持ち上げがたがたと不審な音を深夜の室内に響かせたほどでした。
今日はあまりに一生懸命仕事をして、健全に疲れているので、妄想じみたことがあまり出てきませんで、ごくふつうに下品な感じなのですが、最近の女子中学生の発育のよさはいったどうしたことでしょう。知能があからさまに弱そうで傍若無人で顔は中学生らしい子供っぽさなのに胸だけはしっかりあるという、ある方面のマニアにはたまらない状況になっています。しかもそういう存在どもが無防備に背中の大きく開いた服を着ていたり、場合によっては乳バンドをしておらず「ああかたちがわかっちゃうー」ってな状況になってたり。しかし俺としては不満が残ります。というか不満しかありません。
俺の脳内に概念として住んでいる幻想の「おんなのこ」に該当する存在があるとしたら、それは軒並み小学校低学年くらいであるというこの現実。よくわからないのですけど、最近の子供たちは、言葉づかいや振る舞いなどの男女差は少ないのですが、しかしそれとは矛盾するようですけど、非常に野放図に「オス」と「メス」なのですな。「男」と「女」が文化的にまとう衣服なのだとしたら、あれは違うものです。裸であるからオスとメスであるという非常に単純な原理で動いているように思えます。まあ有り体に言ってケダモノに見えるわけですが。
「おんなのこ」というのは、まだ男女の未分化な存在でありながら「女性」の前でとまどっているような存在を指します。いねえんだよそういうのが。どこにも。なんでだ。夢の国にそういうのがいりゃそれでいいじゃねえかって話もあるのだが、たまには見てみてえじゃねえかよそういうのも!!
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