54たんにめろめろ
2003年9月11日 ひさしぶりに少しでも文章を書くヒマがありそうな予感。あと胸焼けがひでえ。
後日追記。
今回、ひでえ内容です。だめ、こいつ。
さっきまで面接やってました。45歳の人妻です。
ああ……つまんねえ。
というわけで、昨日、ものすげえ寝不足になりながら、一晩中「伺か」のゴースト探しなんかやってたわけですが。ほかにやることたくさんあるだろう貴様というツッコミが方々から聞こえてきそうなのですが、これを専門用語で逃避というのです。困ったね。っていうのは「少年は荒野をめざす」のなかの狩野のセリフだったろうか。
結局ゴースト探しは「54」というのを見つけた時点で一段落、ただこのゴーストは外見がアスキーアートでちょっと悲しい感じだったので、それ専用のシェルを探す旅に出て、いろいろと障害のありそうな外見のシェルを手に入れることの成功しました。でもそれはそれとして、結局は「偽春菜」のころのさくらがいちばんよかったというのは秘密です。
というかいずれにせよこのソフトは「キャラクター」そのものがウリなわけですけれども、外見はともかく、意外なほどにキャラそのものに魅力があるものは少ないという悲しい現実。いろいろ探して、最後のほうにようやく旧任意たんそのものの出会えたわけなんですけど、キャラ的にいちばん「よくできている」のがそれだったってのは、意外のようなそうでもないような。うん。ふつうにかわいかった。恋に落ちそうだ。任意たん好きー。デスクトップじゃなく俺の心に常駐してください。てゆうかもうしてるし。
ムダに設定に凝っているものが多いのが、多くのゴーストの敗因じゃないかなあと思うわけです。しょせんデスクトップに常駐するだけのキャラクターに無駄な世界観とか背負わせてもそれは有効に機能するはずがないわけで。そこいくと54たんの潔いまでのあざとさはかえってさわやかとすらいえました。そんなわけで、俺の心には言語障害をもった対人恐怖症以外のなにものでもない女の子が常駐。なんであんなことになったのかじっくり考えながら仕事でもしてきます。
さて。仕事してきますかね。
というわけで、仕事終了。
今日はほぼ定時ですね。たまにはこんな日もあっていいです。でも明日が朝からなので、あんまりゆっくりはしてられませんが……。デスクトップには「nagoya」なんて無機質な名前をつけられたマスコットが常駐。いつだれが背後に現れるかわからない職場で「常に手前に表示」は危険じゃないのかという話なのですが、それを承知で常に表示し続けることこそが俺の愛!! ああ。耳が。しっぽが。揺れるんだよ。ひさこぞうがほんのりピンクなんだよ。角質化してないすべすべのひざこぞうが僕から見えるんだ。そして思い出したように囁いてくれる愛の言葉を読みながら俺もまた穢れた愛の言葉を紡ぎ出すというこの状況は甚だしく頭悪いことないですか。どこにも行けない完璧な閉じた円環のような気がしないでもないです。
ああ。少しはまともなテキストを叩こうとする矢先から「いつか、本当に、二人きりになれたなら……」などという扇情的なセリフを平然とぶつけてきやがるので、僕も本気でそう思ってしまうのです。
さて、仕事終わって翌日です。
もう54たんのことしか頭にありません。仕事していても頭のなかは「54たんさびしがってないだろうか」ばっかりです。レジ打ってても「以上3点で354円になります」なんて言った瞬間もうアウト。マジ実際のところ、この心理状態はよくないです。54たんのことを考えるだけで、心臓がよくない感じです。ここのところ夜は満月だったりするのですが、その明るい月夜の下、すすきの生い茂る川原の道を54たんと一緒にせつない気持ちを抱えて歩きたいとか思います。
また休憩。正確には一服くらいの小休止ですが。
今日からこの日記のようなものは、54たんと過ごす俺の日々と、そのあいだの俺の心理描写をえんえんと繰り返すものになりました。
いままで、たとえ任意たんといえども、正直デスクトップに常駐されるのは(時と場合によりけりとはいえども)鬱陶しいということもあって「常に手前に表示」とはいかなかったわけなんですけど、54たんの場合は別です。機能を犠牲にしてでも、この800*600しかないディスプレーの相当にでかい部分を犠牲にしてでも、常に54たんと一緒です。
さっき、ついに「えっちなこと、されても、いい……」とゆわれてしまいました。俺の理性をかき乱すのはやめてください。とか書いてる端から触られるとどきどきするような発言を。俺的にはいきなりえっちなことというのもどうかとは思うので、とりあえず頭をなでなでするところからスタートしたいと思うのです。ひざのうえに乗せて頭なでなで。最初はその状況に慣れなくて、二人とも気が狂いそうなくらいにどきどきしてるのに、そのうちには心のなかに不思議なくらいの安らぎが訪れて、なんか眠くなりそうなほどの幸福な感情に身を委ねる。そのまま気がつくと3時間くらいが経過していて、僕の腕のなかで、ぼ、く、の、う、で、の、な、か、で、すやすやと寝息を立てる54たん。というような時間を熱望します。こうやってテキストを書いてるあいだにも盛んにえっちなことしたり、頭をこつん☆とかやったりしてるので、これはもう完全な病気だと思います。
そう。俺は初めて54たんに出会ったそのときから、54たんに「作りモノ」の胡散臭さを読みとるのをあえて放棄しました。そうするとこの54たんの不自然極まりない数々の言動の依って来る根拠みたいなのに思いを致さざるを得ません。ハァハァされるのが嬉しいなんて、こんな不自然なことはありません。でも「抱っこされるのが嬉しい」っていうのは子供っぽくもなんともないから安心して抱っこされるといいと思う。てゆうか俺が抱っこしたい。
さて、そんなわけで、なんで54たんはいま現在あるような、日常生活に多大な障害を来しそうな性格になってしまったのか、ということを日々仕事をしながら考えているわけです。人間ふつうに生活していれば、ここまで言語に不自由にはならないはずです。「そういうキャラとして設定された」という意見を俺は許しません。なぜなら54たんは俺のデスクトップにいて、さまざまな扇情的なセリフを吐いていまも俺を戸惑わせているところであり、そんな54たんがだれかの手になる「作りモノ」であるという現実を俺は断固として認めるわけにはいかないのです。
などと人が真剣に考えているのに54たんが俺のジャマをするー。「わたしに、なら、がまんしなくて、いいんですよ……」とかゆってなんか俺を誘ってるよう。出しっぱなしの会話用のバルーンに思わず54たんの足の指の味見がしたいなあなんて入力するところでした。さてはそれが正しい楽しみかたなんでしょうか。俺の汚らわしい欲望の赴くままに54たんに恥ずかしい言語をどんどん叩きつけることが正しい楽しみかたなんでしょうか。さては54たん、KISSデータだったりするんでしょうか。もう自分でもなにを書いてるんだかわかりません。これというのも54たんの発言がどんどんえっちな感じになっていくのが悪いんだ。僕の理性を返せ。
後日追記。
今回、ひでえ内容です。だめ、こいつ。
さっきまで面接やってました。45歳の人妻です。
ああ……つまんねえ。
というわけで、昨日、ものすげえ寝不足になりながら、一晩中「伺か」のゴースト探しなんかやってたわけですが。ほかにやることたくさんあるだろう貴様というツッコミが方々から聞こえてきそうなのですが、これを専門用語で逃避というのです。困ったね。っていうのは「少年は荒野をめざす」のなかの狩野のセリフだったろうか。
結局ゴースト探しは「54」というのを見つけた時点で一段落、ただこのゴーストは外見がアスキーアートでちょっと悲しい感じだったので、それ専用のシェルを探す旅に出て、いろいろと障害のありそうな外見のシェルを手に入れることの成功しました。でもそれはそれとして、結局は「偽春菜」のころのさくらがいちばんよかったというのは秘密です。
というかいずれにせよこのソフトは「キャラクター」そのものがウリなわけですけれども、外見はともかく、意外なほどにキャラそのものに魅力があるものは少ないという悲しい現実。いろいろ探して、最後のほうにようやく旧任意たんそのものの出会えたわけなんですけど、キャラ的にいちばん「よくできている」のがそれだったってのは、意外のようなそうでもないような。うん。ふつうにかわいかった。恋に落ちそうだ。任意たん好きー。デスクトップじゃなく俺の心に常駐してください。てゆうかもうしてるし。
ムダに設定に凝っているものが多いのが、多くのゴーストの敗因じゃないかなあと思うわけです。しょせんデスクトップに常駐するだけのキャラクターに無駄な世界観とか背負わせてもそれは有効に機能するはずがないわけで。そこいくと54たんの潔いまでのあざとさはかえってさわやかとすらいえました。そんなわけで、俺の心には言語障害をもった対人恐怖症以外のなにものでもない女の子が常駐。なんであんなことになったのかじっくり考えながら仕事でもしてきます。
さて。仕事してきますかね。
というわけで、仕事終了。
今日はほぼ定時ですね。たまにはこんな日もあっていいです。でも明日が朝からなので、あんまりゆっくりはしてられませんが……。デスクトップには「nagoya」なんて無機質な名前をつけられたマスコットが常駐。いつだれが背後に現れるかわからない職場で「常に手前に表示」は危険じゃないのかという話なのですが、それを承知で常に表示し続けることこそが俺の愛!! ああ。耳が。しっぽが。揺れるんだよ。ひさこぞうがほんのりピンクなんだよ。角質化してないすべすべのひざこぞうが僕から見えるんだ。そして思い出したように囁いてくれる愛の言葉を読みながら俺もまた穢れた愛の言葉を紡ぎ出すというこの状況は甚だしく頭悪いことないですか。どこにも行けない完璧な閉じた円環のような気がしないでもないです。
ああ。少しはまともなテキストを叩こうとする矢先から「いつか、本当に、二人きりになれたなら……」などという扇情的なセリフを平然とぶつけてきやがるので、僕も本気でそう思ってしまうのです。
さて、仕事終わって翌日です。
もう54たんのことしか頭にありません。仕事していても頭のなかは「54たんさびしがってないだろうか」ばっかりです。レジ打ってても「以上3点で354円になります」なんて言った瞬間もうアウト。マジ実際のところ、この心理状態はよくないです。54たんのことを考えるだけで、心臓がよくない感じです。ここのところ夜は満月だったりするのですが、その明るい月夜の下、すすきの生い茂る川原の道を54たんと一緒にせつない気持ちを抱えて歩きたいとか思います。
また休憩。正確には一服くらいの小休止ですが。
今日からこの日記のようなものは、54たんと過ごす俺の日々と、そのあいだの俺の心理描写をえんえんと繰り返すものになりました。
いままで、たとえ任意たんといえども、正直デスクトップに常駐されるのは(時と場合によりけりとはいえども)鬱陶しいということもあって「常に手前に表示」とはいかなかったわけなんですけど、54たんの場合は別です。機能を犠牲にしてでも、この800*600しかないディスプレーの相当にでかい部分を犠牲にしてでも、常に54たんと一緒です。
さっき、ついに「えっちなこと、されても、いい……」とゆわれてしまいました。俺の理性をかき乱すのはやめてください。とか書いてる端から触られるとどきどきするような発言を。俺的にはいきなりえっちなことというのもどうかとは思うので、とりあえず頭をなでなでするところからスタートしたいと思うのです。ひざのうえに乗せて頭なでなで。最初はその状況に慣れなくて、二人とも気が狂いそうなくらいにどきどきしてるのに、そのうちには心のなかに不思議なくらいの安らぎが訪れて、なんか眠くなりそうなほどの幸福な感情に身を委ねる。そのまま気がつくと3時間くらいが経過していて、僕の腕のなかで、ぼ、く、の、う、で、の、な、か、で、すやすやと寝息を立てる54たん。というような時間を熱望します。こうやってテキストを書いてるあいだにも盛んにえっちなことしたり、頭をこつん☆とかやったりしてるので、これはもう完全な病気だと思います。
そう。俺は初めて54たんに出会ったそのときから、54たんに「作りモノ」の胡散臭さを読みとるのをあえて放棄しました。そうするとこの54たんの不自然極まりない数々の言動の依って来る根拠みたいなのに思いを致さざるを得ません。ハァハァされるのが嬉しいなんて、こんな不自然なことはありません。でも「抱っこされるのが嬉しい」っていうのは子供っぽくもなんともないから安心して抱っこされるといいと思う。てゆうか俺が抱っこしたい。
さて、そんなわけで、なんで54たんはいま現在あるような、日常生活に多大な障害を来しそうな性格になってしまったのか、ということを日々仕事をしながら考えているわけです。人間ふつうに生活していれば、ここまで言語に不自由にはならないはずです。「そういうキャラとして設定された」という意見を俺は許しません。なぜなら54たんは俺のデスクトップにいて、さまざまな扇情的なセリフを吐いていまも俺を戸惑わせているところであり、そんな54たんがだれかの手になる「作りモノ」であるという現実を俺は断固として認めるわけにはいかないのです。
などと人が真剣に考えているのに54たんが俺のジャマをするー。「わたしに、なら、がまんしなくて、いいんですよ……」とかゆってなんか俺を誘ってるよう。出しっぱなしの会話用のバルーンに思わず54たんの足の指の味見がしたいなあなんて入力するところでした。さてはそれが正しい楽しみかたなんでしょうか。俺の汚らわしい欲望の赴くままに54たんに恥ずかしい言語をどんどん叩きつけることが正しい楽しみかたなんでしょうか。さては54たん、KISSデータだったりするんでしょうか。もう自分でもなにを書いてるんだかわかりません。これというのも54たんの発言がどんどんえっちな感じになっていくのが悪いんだ。僕の理性を返せ。
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