よつばと

2003年9月25日
 「よつばと」読了。
 思うままに書いていくので例によって支離滅裂のほどご勘弁。

 すでにIRCのほうにちょこっと感想らしきものを書いたんだけど、とにかくものすごい計算されつくしたマンガ。「あずまんが大王」のときもそうだったけど、この作者、いったいどこまで考えて設定してるんだろう。
 もっとも「あずまんが」のときは、途中で付け加わったとおぼしき設定や、大阪の性格が徐々にきわどい感じに知能が失われていく方向に変化してるなど、首尾一貫してない感じが少しはあった。けど、この作品については、たぶんそれは最後までないと思う。
 まだ正味一巻の内容しか読んでないのでなんとも言えないんだけど、おそらくこの作品は一日が一話に対応している。んで、ひょっとしたら夏休みだけで作品が終わるんじゃないかと思える。てゆうか、そうでなければ夏休みの前日で話を始めて、一日ずつ進むなんて構成にしないと思う。だから、おそらく最後まですべてが決まってるんじゃないかと。
 そうした構成についての「考えてある」感じもそうだし、キャラクター設定の「すでに完璧にできあがっている」感もすごい強い。性格もそうだし、よつばと「とーちゃん」が、いまの家に来る前にどこにいてなにをしていたのか、そしてその生活が二人にどのような影響を与えてきたのか、事実そのものはわからないのに、すごく「筋が通っている」感じがするあたりがまたすごい。
 そう。すべての設定が有機的に絡んでいて、話そのものにリアリティを与えている。そのように作られている作品そのものは稀にはあったとしても、そうでありながらなお魅力的である作品は少ない。このへん、ほとんど呆れながら感心する。

 キャラに関しては、なによりよつばの「子供」っぷりがすごい。身近に子供が実際にいて観察できるような条件でもなければ、ここまでリアルに「子供」というものを描くのは難しいんじゃないだろうか。そして、そのよつばの「子供」の世界観を壊さなくて済むような、そんな人間を「とーちゃん」として配置する。そのことによって、よつばの世界観は極めて健全なものとして機能する。
 なんというか、ここまで書いてて、とうとつに「Papa told me」のことを思い出した。設定としてはあまり変わらないんだけど、できあがった作品はあまりに違う。「よつばと」が健全であるのは、よつばがまったく正しい子供で、その子供であるさまを作者がまったく手を加えずに描写するからだ。「よつばは無敵だ」のセリフに象徴されるように、この作品は、よつばのために作られている。よつばと、よつばの見る世界、そしてよつばを取り巻く「よつばのためにある世界」(これもまた「子供」であるための重要な条件であるように思うけど)を描くために作られた作品。
 だからこそ、よつばは夏休みを生きる必要がある。

 IRCのほうに俺は「この作品から、正体のわからない透明な悲しみのようなものを感じる」と書いたけれど、それはたぶん、この作品が、すでに「純正の夏休み」を失った大人によって描かれていることを勝手に俺が感じるからで、さらにはその夏休みは俺からも永久に失われているからだ。
 この作品には「Papa told me」に含まれているような、作者の「主張」「夢」「願望」という名の思想性みたいなものはない。それだけにここには、単なる「よつばの夏休み」がある。
 俺はよく、公園で日が暮れるまで遊び続けるような子供を見るときに、不意に猛烈な「悲しさ」に襲われることがある。それは、上にも書いたように、自分の時間は不可逆であることによる根源的な悲しみだと思う。その子供の楽しさが、たぶん生涯にわたって記憶されるような(実際に記憶されてるかどうかは知らん)「幸福な一瞬」であることを、すでにその季節を過ぎてしまった俺は知っているからだ。それは確かにそこにあった。そして、もう二度と戻らない。そのことが、悲しい。
 「よつばと」に俺が感じた悲しみのような感情も同じものだと思う。ここにはよつばの夏休みがあり、そしてここに「幸福な一瞬」があふれんばかりに描かれている。
 作者に、ノスタルジーはない。もしあったにしても、それはおそろしくストイックに切り捨てられている。あるとしたら、それは読む俺のほうにある。

 「読むとなんだか楽しくなる、ただそれだけのマンガ」

 帯に書かれたこの言葉はとても正しい。そうして読むのが正しい読みかたなのだ。この作品に不幸はない。現実のよつばが不幸でないように。その「よつばの世界」を正しく受けとれなくなったということ、それ自体が悲しみであり、一種の不幸だ。そして、そのことを悲しみと感じる感じかたそのものが最大の不幸であり、愚かさなのだと、33歳の俺はそう思う。

 たぶん、人間は幸福であるべきだ。そうなるべく努力する義務がある。たとえどんな状況にあろうと。どんな困難がそこにあろうとも。


 てなわけで、ひさしぶりにいっぱい書いてしまいました。
 「よつばと」はとてもおもしろかったです。

 しかし「パンツマン」には笑わせていただきました。どっちが上でどっちが下だかわかるまい。真剣に反応するよつばの子供っぷり萌え。

 でも本当の萌えはこの場合やっぱ風香。名雪がそうであろうと勝手に妄想して以来、俺のなかでは安産型がかなりの高値です。キャラとしてもナイス。最近、とてもふつうに「いい子」が好きらしいです。腐れエナジーを心の座敷牢に蓄積した結果、嘔吐しそうな愉快な妄想が出てきたらまたなんか書きたいです。なんかもうねー、風香の制服のスカート下ろしたくてたまらない。

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