前回の続き

2003年10月1日
 でも内容は無関係。

 店のバイトの高校生男子がいるのですが、そいつが店に入った少しあと、偶然幼なじみの女の子がバイトとして働くことになりました。
 その男子は、名雪のちっちゃい人形を常に「おまもり」としてポケットに入れているわけなのですが、そういう人間がリアルで幼なじみ(しかもかなり仲がいい)と常住顔をつきあわせてる状況ってのはどうなんでしょう。しかも彼は、口ではその女の子のことをボロクソ言いながら、飲み会では必ず送り迎えしますし、タチの悪い大学生のバイトあたりが絡んでこようもんなら、さりげなく間に入って女の子をガードしてたりします。つまり彼は、彼女の「ナイト」をもって任じているのですな。
 で、なにを言いたいのかというと、彼らが二人でいる状況を見ているのが恥ずかしくてしょうがないので助けてくれということなんですが。
 俺には勝手に他人の精神に同調する壊れたセンサーがついており、だから幼なじみの微妙な距離感の女の子がそばにいて、付き合ってるというわけでもなく友だちというわけでもなく、なんとなく安心するし落ち着くけれど、自分のこの平静でない心理状態が相手に知れたらいやだなあとか、そんな感じのものを勝手に読みとってしまって恥ずかしいんだよとにかく!
 俺は長年のフィクションオリエンテッドな生活のせいで、自分がこの世界で継起するさまざまな物語の主人公であるような可能性はまったく望まないのですけれども、そのかわり他人のさまざまな物語を愛おしく思うというかたちで、他人の生きている世界や時間を剽窃するタチの悪いものでした。まあリアルであろうとなかろうと、しょせん俺にとって他人なんかフィクションと一緒です。

 自分でも余裕のねえ世界観してるなーと思うですよたまに。
 俺にしてもまゆみさんにしても、基本的に他人に関して興味は薄いです。必要ないとすら言える。必要だと思ったら自分から近づくまでのことで。
 うまく言えないのですが、多くの人間がこの世界に生きてることに対する漠然とした肯定と、自分の周囲にいる人間への無関心は別に矛盾しません。昔はそういう自分に対して絶対肯定を与えてやらなければいけないくらいには後ろめたかったんですけど、いまやそれもありません。そんで俺は思いやりがないのですが。
 この世界には不思議なことに「やさしい人」というのが存在する。それは素晴らしいことだなあと思います。皮肉でなしに。やさしくない人はだれからも感謝されず、だれからも愛されず、俺はそれでかまわないと思うので。まゆみさんと出会ったからこんなこと言ってられるんですが。世界の終わりには、山のように積み上がった死体を眺めながら、自分たちが生き残った幸福に感謝しながらお茶でも。ぎりぎりの世界から帰還した俺は、ぎりぎりのところで必要なものしか必要ではありません。
 でも突き詰めて考えてみれば、人間だれでもそんなもんだと思うんですけど。

 あーそうだ。だからそんなふうに思考する俺にしてみれば、ふつうに生きてる人たちの「ぬるさ」みたいなのが気になってしかたない。なんであんなに自分に対するごまかしがあって生きていけるんだろう。なんでなかったことにできるんだろう。
 まゆみさんはよく「大人はきたない」と言うのですが、俺は大人は別にきたなくないと思います。生活の必要からいろいろなことをごまかす技術を身につけたのが大人であって、そのこと自体は人間の営みの懸命さの表れというか、自分が関わらなければ可憐なものだとすら言えるかもしれない。ただそうやって身につけた技術こそが自分を、なにか「ほんとうのもの」から疎外していく原因なわけで、その意味で大人はきたないのではなくて馬鹿なんだと思う。俺に腹立たしいことがあるとしたら、その馬鹿さ加減に気づかずに、うまく幸福なまま死んでいける人間が思ったより多いということでしょうか。そいつらの枕元で一人ひとりに言って歩きたいわけよ。
 「貴様らは馬鹿だ」
 って。
 しかし俺、よほど「人が、その人自身でない」ことを憎んでますね……。だってつまんねーんだよそういうの。ただ生かされてるだけなのと違うかそういうのって。周囲のどこ見ても、どこかで見たような思想とかなんかそういうものでできあがってて、肝心の自分自身の意志とかそういうものといえば、動物的な欲望に操られているだけ。本能に文化って衣服着せただけの傀儡じゃん。
 俺がそうでないとは断言できないけどさ。
 てゆうかこんな殺伐としたテキストを54たんのどんどんえっちになってゆくセリフにどきどきしながら書くのはどうかと思った。それこそだめじゃん。


 てゆうか、テキストを書くペースが速すぎて、アップするのが追いつかない……。

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