駆け落ちマニア
2003年10月15日 仕事が忙しい。
俺はアドバルーンを監視する仕事とかしたい。もうね、楽して稼ぐことしか考えてないです。プライドもなにもいらないから生活保護でいいとかちょっと思う。
なんてゆうんですか、働くのが嫌いな人間ってのはいるんだって話。そのくせ中途半端に凝り性なので、まあ、横浜でもそこそこ名の売れた店になるくらいの経営努力はしてるわけですが。てゆうかそうしないと潰れるんですが。怠け者が働かないのではなく、働く必然性のない人が働かないんです。独身だったころは「俺は給料泥棒だ」とか公言して憚らなかったもんなー。よくこんな人間クビにしなかったと思うようちの社長。
さて、そんなわけで、怠け者である俺は、今日もかったりーとか思いながら仕事してるわけですが。
それとはぜんぜん関係ないんですが、このあいだ、浜崎あゆみと駆け落ちしてる夢を見て真剣に鬱でした。しかし俺の夢の何割が駆け落ち妄想で占められているのか、ちょっと統計とってパーセンテージで表現したい気分です。そんなに駆け落ち好きか俺。ああ大好きだ。とはゆっても、実際には俺は「追われる」とかあんまり好きじゃないので、現実的には駆け落ちには夢をもちません。あくまで妄想の域を出ません。
妄想はこういうときに都合がいいです。自分にとって都合の悪いことは排除できますので。あくまで甘美に。「行き場がない」「もう、二人でいるしかない」という、ほとんど自己陶酔に近い絶望。そんなのが好きだ。
まあ、結局のところ、妄想のなかでは常に破滅体質です。入江さんの指摘は悲しくなるくらい正解です。確かに繭に関する妄想の行き着く先はあれしかなかったりします。
しかし、人間の欲望ってのはややこしいシロモノだと思うですよ。俺にしたところで、生きていくっていう前向きな意志があり、人間は楽しく生きなくてどうすると思うと同時に、精神のややこしい袋小路の奥には破滅願望を飼ってるようなありさまです。しかもたまにエサまでやってます。それもまた自分の一部だと自分が容認してる時点で、負の意味しかもたないと重々自覚しているものでも平然と同居させている。それで別に違和感もない。
俺が特殊なんだといえばそれまでですが、人間だれだってそう大差はないです。俺はたまたま「文章」というツールを使って自分の無意識みたいな領域に踏み込むのに慣れてるだけです。
ほんとにさー、人間を見るのが好きな俺みたいな人にしてみると、人間ってのは複雑で飽きないものです。いくら馬鹿だのドキュソだのゆっても、じっくり見てるとその人を構成している要素みたいなものは無限に近いほど多くて、しかもそれがあちこちでぽろぽろと顔を出す。
俺はあらゆるものに関して「意味」が気になる人間なのですが、というのは、だいたいのものにはそれがその場所に存在している由来とかそんなようなものがあるからです。それが、いま現在、その場その瞬間にそのようであること。その「理由」とか。その「理由」こそが「過去」ってことであり、俺にとっては「振り返ったときの膨大な時間」ということなんだと思う。そうした立体的な時間や空間の流れ。それ自体が俺にとって興味の対象。そんで人間こそは、もっとも多く「過去」を背負い、それだけ多くの「物語」を背負っている存在で、だからこそおもしろいんだと思う。
ちなみにこの考えかたがフィクションに適用されたときに、俺にとっての妄想が起こるのでした。現実は、厳としてそこにあるので「そうでなかった過去の可能性」みたいなのは妄想できないけど、フィクションだと、ある程度融通が効くから、なお楽しくて、なお悲しい。
ま、そんなような意味の通ってるようなまったく通っていないようなことを書きながら休憩が終了。
ダ・ヴィンチという雑誌を読んでいたら「書いても書いても書き足りない人」とか「書く以外なにもできない人」みたいな記述があってぎくっとする。
ま「書く」なんて行為をする人は、結局のところ、それ以外に自分を表現するチャンネルをあまり持っていないということなんですけどね……。しかも「言語」以外の表現手段をもっていない不器用な人。自分に関してはそのように規定してますが。言語の海の上で溺れないために、必死で言語という泥船を作り、言語の櫂で必死に漕ぐ。
ああ、これか。
必死だな(ワラ
てなわけでしごとー。
俺はアドバルーンを監視する仕事とかしたい。もうね、楽して稼ぐことしか考えてないです。プライドもなにもいらないから生活保護でいいとかちょっと思う。
なんてゆうんですか、働くのが嫌いな人間ってのはいるんだって話。そのくせ中途半端に凝り性なので、まあ、横浜でもそこそこ名の売れた店になるくらいの経営努力はしてるわけですが。てゆうかそうしないと潰れるんですが。怠け者が働かないのではなく、働く必然性のない人が働かないんです。独身だったころは「俺は給料泥棒だ」とか公言して憚らなかったもんなー。よくこんな人間クビにしなかったと思うようちの社長。
さて、そんなわけで、怠け者である俺は、今日もかったりーとか思いながら仕事してるわけですが。
それとはぜんぜん関係ないんですが、このあいだ、浜崎あゆみと駆け落ちしてる夢を見て真剣に鬱でした。しかし俺の夢の何割が駆け落ち妄想で占められているのか、ちょっと統計とってパーセンテージで表現したい気分です。そんなに駆け落ち好きか俺。ああ大好きだ。とはゆっても、実際には俺は「追われる」とかあんまり好きじゃないので、現実的には駆け落ちには夢をもちません。あくまで妄想の域を出ません。
妄想はこういうときに都合がいいです。自分にとって都合の悪いことは排除できますので。あくまで甘美に。「行き場がない」「もう、二人でいるしかない」という、ほとんど自己陶酔に近い絶望。そんなのが好きだ。
まあ、結局のところ、妄想のなかでは常に破滅体質です。入江さんの指摘は悲しくなるくらい正解です。確かに繭に関する妄想の行き着く先はあれしかなかったりします。
しかし、人間の欲望ってのはややこしいシロモノだと思うですよ。俺にしたところで、生きていくっていう前向きな意志があり、人間は楽しく生きなくてどうすると思うと同時に、精神のややこしい袋小路の奥には破滅願望を飼ってるようなありさまです。しかもたまにエサまでやってます。それもまた自分の一部だと自分が容認してる時点で、負の意味しかもたないと重々自覚しているものでも平然と同居させている。それで別に違和感もない。
俺が特殊なんだといえばそれまでですが、人間だれだってそう大差はないです。俺はたまたま「文章」というツールを使って自分の無意識みたいな領域に踏み込むのに慣れてるだけです。
ほんとにさー、人間を見るのが好きな俺みたいな人にしてみると、人間ってのは複雑で飽きないものです。いくら馬鹿だのドキュソだのゆっても、じっくり見てるとその人を構成している要素みたいなものは無限に近いほど多くて、しかもそれがあちこちでぽろぽろと顔を出す。
俺はあらゆるものに関して「意味」が気になる人間なのですが、というのは、だいたいのものにはそれがその場所に存在している由来とかそんなようなものがあるからです。それが、いま現在、その場その瞬間にそのようであること。その「理由」とか。その「理由」こそが「過去」ってことであり、俺にとっては「振り返ったときの膨大な時間」ということなんだと思う。そうした立体的な時間や空間の流れ。それ自体が俺にとって興味の対象。そんで人間こそは、もっとも多く「過去」を背負い、それだけ多くの「物語」を背負っている存在で、だからこそおもしろいんだと思う。
ちなみにこの考えかたがフィクションに適用されたときに、俺にとっての妄想が起こるのでした。現実は、厳としてそこにあるので「そうでなかった過去の可能性」みたいなのは妄想できないけど、フィクションだと、ある程度融通が効くから、なお楽しくて、なお悲しい。
ま、そんなような意味の通ってるようなまったく通っていないようなことを書きながら休憩が終了。
ダ・ヴィンチという雑誌を読んでいたら「書いても書いても書き足りない人」とか「書く以外なにもできない人」みたいな記述があってぎくっとする。
ま「書く」なんて行為をする人は、結局のところ、それ以外に自分を表現するチャンネルをあまり持っていないということなんですけどね……。しかも「言語」以外の表現手段をもっていない不器用な人。自分に関してはそのように規定してますが。言語の海の上で溺れないために、必死で言語という泥船を作り、言語の櫂で必死に漕ぐ。
ああ、これか。
必死だな(ワラ
てなわけでしごとー。
コメント