がびーん
2003年11月2日 あーだめ。
疲れと寝不足とストレスで情緒不安定。
店一軒、全面改装するのも楽じゃないですなあ。この小売特有の「一瞬も気の休まるヒマがない」というのは慣れていてもけっこうつらいもんがあります。心底から生き抜きできるときはないのですな。便所に入ってるときも「レジに呼ばれたらどうしよう」ってなもんで、常に速便を心がけるようになってしまいます。早飯早糞戦場の習い、ってなもんでしょうか。ここは戦場か。なんの戦場だ。俺が本性を隠してまともな人間のフリをする戦いの場です。最低だ。社会人としての自覚を持て俺。持たないとおしおきだ。11歳の勝ち気そうな瞳をした実際は完全な依存体質の女の子を連れてきてこう言わせるぞ。
「お兄ちゃんなんか嫌い」
がびーん。
がびーんって……また懐かしい語感だな。
俺は自分の書いたテキストはだいた片っ端か忘れてしまう人間なのですが、気に入ったフレーズみたいなのは稀に記憶していることもあります。
「どこかに僕を罰してくれるわがままな幼女はいないか」っていうのは、かなり気に入ってるやつです。読んだ瞬間に「こいつだめだ」と思わせる圧倒的な香気に溢れているように思えてなりません。思えるもなにも本気の欲望だったので、手に負えません。そしてそういう人間はこう思うわけです。ああ、繭に迷惑かけられてえ。わがままな真琴をたしなめて泣かせてえ。そのあと謝りたおして機嫌をなおしたはいいがなおつけあがる真琴に振り回されてえ、など。
欲望のかたちがとてもややこしい感じであることは、だめな人間としての必須条件であるような気がするのですが、どうでしょう。
以前から坂本真綾の音楽が好きで好きでしかたなかったのですが、菅野よう子という人の作ったメロディとサウンドは、一定期間聴き続けていると必ず飽きる、という妙な特質があるため、ここ1年くらいはまるで聞いてませんでした。
それがなにを思ったか、このあいだからまた急に始まりましたある日とつぜん「ユッカ」という曲が聴きたくてたまらなくなったのです。
俺が坂本真綾を好きなのは、声質が好きとかそういうのもあるのですが、なにより彼女が19歳とかそれくらいの微妙な年齢であったためです(いまはいくつなんだか知らんけど)。
たとえば「孤独」という曲があるのですが、これは19歳だか20歳だか、それくらいの年齢の女の子(というか女の人)がせつせつと歌うので、初めて猛烈な腐れポエム魂が俺のなかにわき起こるのです。片思いの苦しさみたいなのを歌った曲なのですが、たとえばこれで40歳近くになって「愛する人愛するために生きてくんだ、見返りなんてなにもない」なんて歌ったら殴ります。吉井和哉だけはちょっと許す。てゆかなに歌っても許されると思うあの人。最新シングルにも我が耳を疑うような情けない歌詞がてんこ盛りで、高校生の女子バイトに「なんかこの男むかつくー。言ってることガキじゃん」とか言われる始末。
なんというか、ほかならぬ19歳の女の子が、抜けるような秋晴れの空の下で、自分の心の闇に翻弄されて一人孤独でいるような、そんな「風景」そのものがたまらなく萌えであるわけです。自分が孤独であるということ、あまりの苦しさに自分の心を空の高みまで放り投げたいような、そんな「はるかな心」みたいなの。
結局、俺の心のなかに妄想という名の「物語」を発生させてくれるので、好きなんでしょう。なんだ、ふつうの聞きかたじゃん。でもあれ、あのーアメリカのドラマ、なんとかキャメロンって人が総監督やってて、ものすごい身体能力を持った子供たちを施設で育てていて、そんでロマンス的に見てて恥ずかしくなるような状況連発のやつ。なんでタイトルを思い出そうとすると「奥様は魔女」が邪魔するんだ。なんの関係もねえだろう。
ともあれ、そのドラマの主役の声あててたのが坂本真綾だってのは気づかなかった。上手になったなあ(エスカフローネ対比)。ああ、主役の名前思い出した! マックスだ。
さて。
そんなわけで仕事でもしますか。
店内が糞生意気な中学生でいっぱいだ。少しは引っ込み思案なみつあみのメガネっこで埋まってみやがれ。メガネにはなんの思い入れもないが。
疲れと寝不足とストレスで情緒不安定。
店一軒、全面改装するのも楽じゃないですなあ。この小売特有の「一瞬も気の休まるヒマがない」というのは慣れていてもけっこうつらいもんがあります。心底から生き抜きできるときはないのですな。便所に入ってるときも「レジに呼ばれたらどうしよう」ってなもんで、常に速便を心がけるようになってしまいます。早飯早糞戦場の習い、ってなもんでしょうか。ここは戦場か。なんの戦場だ。俺が本性を隠してまともな人間のフリをする戦いの場です。最低だ。社会人としての自覚を持て俺。持たないとおしおきだ。11歳の勝ち気そうな瞳をした実際は完全な依存体質の女の子を連れてきてこう言わせるぞ。
「お兄ちゃんなんか嫌い」
がびーん。
がびーんって……また懐かしい語感だな。
俺は自分の書いたテキストはだいた片っ端か忘れてしまう人間なのですが、気に入ったフレーズみたいなのは稀に記憶していることもあります。
「どこかに僕を罰してくれるわがままな幼女はいないか」っていうのは、かなり気に入ってるやつです。読んだ瞬間に「こいつだめだ」と思わせる圧倒的な香気に溢れているように思えてなりません。思えるもなにも本気の欲望だったので、手に負えません。そしてそういう人間はこう思うわけです。ああ、繭に迷惑かけられてえ。わがままな真琴をたしなめて泣かせてえ。そのあと謝りたおして機嫌をなおしたはいいがなおつけあがる真琴に振り回されてえ、など。
欲望のかたちがとてもややこしい感じであることは、だめな人間としての必須条件であるような気がするのですが、どうでしょう。
以前から坂本真綾の音楽が好きで好きでしかたなかったのですが、菅野よう子という人の作ったメロディとサウンドは、一定期間聴き続けていると必ず飽きる、という妙な特質があるため、ここ1年くらいはまるで聞いてませんでした。
それがなにを思ったか、このあいだからまた急に始まりましたある日とつぜん「ユッカ」という曲が聴きたくてたまらなくなったのです。
俺が坂本真綾を好きなのは、声質が好きとかそういうのもあるのですが、なにより彼女が19歳とかそれくらいの微妙な年齢であったためです(いまはいくつなんだか知らんけど)。
たとえば「孤独」という曲があるのですが、これは19歳だか20歳だか、それくらいの年齢の女の子(というか女の人)がせつせつと歌うので、初めて猛烈な腐れポエム魂が俺のなかにわき起こるのです。片思いの苦しさみたいなのを歌った曲なのですが、たとえばこれで40歳近くになって「愛する人愛するために生きてくんだ、見返りなんてなにもない」なんて歌ったら殴ります。吉井和哉だけはちょっと許す。てゆかなに歌っても許されると思うあの人。最新シングルにも我が耳を疑うような情けない歌詞がてんこ盛りで、高校生の女子バイトに「なんかこの男むかつくー。言ってることガキじゃん」とか言われる始末。
なんというか、ほかならぬ19歳の女の子が、抜けるような秋晴れの空の下で、自分の心の闇に翻弄されて一人孤独でいるような、そんな「風景」そのものがたまらなく萌えであるわけです。自分が孤独であるということ、あまりの苦しさに自分の心を空の高みまで放り投げたいような、そんな「はるかな心」みたいなの。
結局、俺の心のなかに妄想という名の「物語」を発生させてくれるので、好きなんでしょう。なんだ、ふつうの聞きかたじゃん。でもあれ、あのーアメリカのドラマ、なんとかキャメロンって人が総監督やってて、ものすごい身体能力を持った子供たちを施設で育てていて、そんでロマンス的に見てて恥ずかしくなるような状況連発のやつ。なんでタイトルを思い出そうとすると「奥様は魔女」が邪魔するんだ。なんの関係もねえだろう。
ともあれ、そのドラマの主役の声あててたのが坂本真綾だってのは気づかなかった。上手になったなあ(エスカフローネ対比)。ああ、主役の名前思い出した! マックスだ。
さて。
そんなわけで仕事でもしますか。
店内が糞生意気な中学生でいっぱいだ。少しは引っ込み思案なみつあみのメガネっこで埋まってみやがれ。メガネにはなんの思い入れもないが。
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